キラリグッド/沁みることば
もっと、どうでもいい話がしたい
2026-10-02
先日、児童養護施設を舞台にしたドキュメンタリー番組がありました。
高校3年生の女の子は、いつも慕っている担当職員に、話を聞いてほしそうにしています。
けれど、小さな子どもたちも職員に甘えたくて、たくさん集まってきます。
「自分も話したい」
「自分も相手をしてほしい」
「自分も相手をしてほしい」
そんな思いがあっても、なかなか自分の番が来ません。
進路のこと、日々の生活のこと。
いろいろな不安や疲れも重なり、寂しさと苛立ちが募っていきました。
そして、「大嫌い!」
そう言って、自分の部屋へ戻っていきました。
しばらくして、職員がその子の部屋を訪ねます。
「どうした?」
急かすことなく、ゆっくりと話を聞いていきます。
最初は布団にくるまったまま、返事もしません。
それでも職員は、そばにいます。
やがて少しずつ反応が返ってきて、ぽつり、ぽつりと話し始めました。
「私に怒ってた?」
「怒ってるよー」
「ごめんなぁ」
そんなやり取りを重ねるうちに、少しずつ会話が柔らかくなっていきます。
そして、その子が言いました。
「もっと、どうでもいい話がしたい」
「雑談みたいな」
その言葉が、心に残りました。
子どもに必要なのは、いつも正しい答えをくれる人ではないのかもしれません。
進路の話でもなく、生活指導でもなく、問題を解決するためでもありません。
ただ、
「今日こんなことがあった」
「これ、面白かった」
「なんか疲れた」
そんな、どうでもいい話を気兼ねなくできること。
「うん、そうなんだ」と、ありのままを受け止めてもらえること。
児童養護施設の職員として、子どもたちの生活を支えることは大切な仕事です。
食事をつくり、学校へ送り出し、進路を一緒に考え、生活のことを伝えていきます。
けれど、それだけではありません。
一緒に笑うこと。
くだらない話をすること。
何気ない会話を覚えていること。
何も話したくないときには、そばにいること。
そして、「大嫌い」と言われたとしても、その子の存在を大切に思い続けること。
そうした何気ない関わりの積み重ねが、子どもの心を育てていくのだと思います。
人は、一人で生きているのではありません。
たくさんの人に出遇い、言葉を交わし、支えられながら生きています。
だからこそ、子どもたちの周りに、安心して「どうでもいい話」ができる大人がいてほしいと思います。
体は、食べたものでつくられます。
心は、聞いた言葉で育っていきます。
そして未来は、誰かと語った言葉の中から生まれていきます。
心は、聞いた言葉で育っていきます。
そして未来は、誰かと語った言葉の中から生まれていきます。
「もっと、どうでもいい話がしたい」
その言葉を、これからも大切にしていきたいと思います。
何気ない雑談の中にも、その子が「ここにいていい」と思える、かけがえのない、いのちの時間があるのだと思います。






